■ 経 歴
氏 名 | 野沢 豊 (のざわ ゆたか) |
出生年 | 昭和44年生まれ 54才 (令和5年現在) |
血液型等 | AB型 みずがめ座 酉年 |
家族 | 妻と子供2人 |
卒業学校 | 早稲田大学第二文学部西洋文化専修卒 早稲田法科専門学院卒(土地家屋調査士課程) |
所属会 |
埼玉土地家屋調査士会 |
趣 味 |
ドライブ ( 都会よりは、ヒナびた方によく行きます ) |
免許等 |
普通自動二輪免許 |
■ 開業までの道のり
大学には別に、何かやりたいことがあったから入ったというわけではありません。大学くらい出とかなきゃまずいだろうという視線のなかで、国語しか取り柄のなかった当時の私にとってわずかながらも可能性があったのが唯一うちの大学でした。試験は3つ、国語と英語と小論文。こんな学校は当時ひとつもありませんでした。小論文は国語とおんなじだから、実際は国語一科目とほとんど変わらないわけです。昼の方はだめでしたが、結果的に運よく、夜の方に受かりました。
学校では2年次の専修決定の折りに何を勘違いしたのか、西洋哲学を専攻。当時は面白かったのかわかりませんが、卒論のテーマはフランス唯物論。残念ながら、今ではもうすっかり忘れました。
卒業後は東京で何年か働いたのち、埼玉県桶川市に戻って父の経営する土木会社に入りました。内容は30トンクラスの重機オペレーターやダンプの運転手。こないだまでニーチェだ、キルケゴールだ、ベルクソンだを議論してたのに、その頃はキツい職人語の飛び交うドカカカカッの毎日。でも結構自分に合ってるなというのはありました。暑いクマガヤで真っ黒になって穴を掘る。結構良くないですか?(笑)
そんななかです、初めて調査士という仕事を知ったのは。業務命令で取らされた測量士補の勉強の折りで、よわいも30半ばになんなんとする頃です。今思うに調査士ってのがいかに無名な資格なのかがわかります。けれど、その実際はみっつしかない法務大臣免許(あとは弁護士と司法書士)でちょっとかっこいい。なのに仕事はデスクワークだけに留まらず、外仕事も普通にあるしで精神衛生上、人間としてもバランスがいい。なにより受けた仕事次第でいろんなところに行ける。こりゃもうやるしかないだろうということで、お勉強をはじめました。
だけどさすがに国家試験。仕事の片手間でやろうとした初めの通信教育は、結局答案を一回も返送しないままで終わりました。正直マニアな資格なので、ひとりでやってもよくわかりません。その後、もともと大学時代に通っていた高田馬場にある、早稲田法科専門学院という調査士教育で日本初の学校へ電車に揺られての通学をすることにしました。いまはどうかわかりませんが、何十年とやっている学校だけあって建物はタイヘンな状態でした。ありていにいうと、ボロい、ショボい、キタない。けれど講義内容はすさまじく洗練されていて文句のつけようがありませんでした。調査士をめざす方がいらっしゃったら、満腔をもっておすすめいたします。深田先生と松元先生にはいくら感謝してもし尽くせません。
自分は結果的には2回目の受験で合格しました。1回目のときも結構自信はあったのですが、年に一度の試験という見えない圧力に飲まれてポカをやってしまい不通過ということになりました。ただその時点でハラは決まっており、試験のあとには父の会社を退職して測量会社に入りました。と言っても初めは高年齢の資格もないズブの素人を雇ってくれる会社は全くなく、さいたま市の会社にアルバイトで入ったのは都合10件目くらいの面接のあとでした。
その後は運よく、本来の目的である調査士事務所に入って貴重な経験をたくさん積ませていただき、晴れて開業の運びとなりました。補助者としての最後の会社となった調査士事務所の先生には、言葉にならないくらい感謝しております。本当にありがとうございました。
本年で当事務所も開業16年目を迎えます。いろんなお仕事をいただき、いろんな方々のお世話になりました。資格者として責任をもって業務に取り組むなか、調査士という仕事の持つ意味の大きさを日々実感しております。正直たいへんな案件にもいくつか当たったりしましたが、今ではいい経験を積ませていただいたとの思いの方がはるかに大きいです。ご尽力ご協力ご鞭撻いただいたすべての皆様に心から感謝しております。これからも調査士 野沢豊をどうぞよろしくお願いいたします。
お気軽にどうぞ048-596-0093受付 8:30-17:00 / 土日祝夜は携帯へ
初回相談・お見積もり無料 お気軽にお問い合わせください